しつこく『白いクスリ』削除に反対し続ける3つの理由

一ヶ月前にも書いたのですが『白いクスリ』騒動について僕の考えをまとめておきます。

1、民主主義の国の国民として削除に反対する
"私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利には賛成だ" これは民主主義の根幹にある考え方としてよく引き合いに出される言葉です。

一方、削除に賛成した人は根拠はどうあれこう言ったのです。"私は『白いクスリ』の表現には反対だ、だから作者が『白いクスリ』を発表する権利にも反対だ"

"自分の(あるいは自分が好きな企業の)都合の悪いものはなくなっていい"というのは、民主主義から最もかけ離れた全体主義・統制主義の考え方であることを自覚してください。
そういう人に言いたいのは、例えば今後ミクが自民党を応援して民主党を貶めるような歌を歌い、それが爆発的に人気が出てマスコミが取り上げ、そしてどこかからの申し立てでその動画が削除されたとしても、またはその逆でも、一切反対してはいけません。それでは筋が通らない。
なぜなら特定の意見を封殺することを認めているからです。
つまり今回の場合、削除した行為そのものが問題なのであって、そこに楽曲の内容を恣意的にコントロールする意思があるかないかは関係ありません。クリプトンにはきっと"いい人"が多く、自分たちはそんなことはしないと固く信じているから実行したのでしょうが、問題はそう単純ではないのです。


2、音楽ファンとして削除に反対する
以前「世の中にはバイクを盗む歌もある」と書いたら、コメント欄にて「尾崎のはフィクションであり実在する人物を中傷することは許されない」とご指摘をいただきました。ではSex Pistolsの『God Save The Queen』や『EMI』という曲をどうお考えでしょうか。RAGE AGAINST THE MACHINEアメリカ政府を批判したし、エミネムは他人の誹謗中傷も歌詞の中でやってます。ギャングスタラップというジャンルはWikipediaによると"その内容と言えば、ドラッグ、酒、犯罪、タバコ、レイプ等の危険極まりなものが多い。"とあります。
「他人の権利を侵害してまでやる表現て何でしょう?」という純粋まっすぐな意見もありますが、何でしょうも何も立派な表現です。たしかに"良識ある大人たち"から眉をひそめられやすいものではありますが、それこそが大衆音楽の一面です。ロックにもヒップホップにも初期にはバッシングが付き物だったんです。
僕は作品から発生する利益もリスクも栄誉も罵声も作者が負うべきで、ツールの段階で止めるべきではないと考えます。「エンドユーザーはVocaloidの技術を借りているにすぎないのだから削除は当然」と書いていた人もいました。ではそもそもVocaloidの権利元の人々は上記のようなアーティストを否定していると言うつもりですか?それは楽器を作っている方々に対してあまりに失礼だと思いますが。
つまり僕は法的にどうこうではなく削除の決断それ自体に音楽ファンとして疑念があるということです。
ちなみに爆破予告や脅迫に使われたらどうするんだという意見もありましたが、それは表現の自由利用規約云々以前に、単純に犯罪行為なので論外となります。しかし少なくとも名誉毀損親告罪です。


3、初音ミクをアイドルとして扱うことに反対する
前回書きましたがこういう考えだからこそ、僕はボカロキャラをアイドルの枠にはめ込み続けようとするのに猛烈に違和感を持っていて、そんなくだらない定義でこの創造の爆発に枷をつけて欲しくないと思っています。
要は初音ミクやボカロキャラを愛しているがゆえに、コンセプトをアイドルなんてチンケなものじゃなくアーティストとして扱ってほしいと思います。


以上です。