『白いクスリ』問題とVocaloid文化の多様性

Vocaloidの文化は簡単に説明できない。
だからこそ面白いのだけれど、今回のように一旦こじれると事態はどんどん迷走するし、議論も噛み合わなかったりする。まさにどんな角度からも見ることができるVocaloidムーヴメントの背中合わせの部分だと思う。
物事の観測者がそれぞれどの立場にいるかによって、今回の件で感じるものは大きく異なる。ミクをシンセサイザーの音として見ている人だったり、キャラクターとして魅力を感じている人だったり、声が好きな人だったり、多彩な作曲者に魅力を感じている人だったり、音声合成の技術に興味がある人だったり、Vocaloidに留まらずPVやMMDや歌ってみたなどの創作の連鎖が面白い人だったり…etc.
僕はどの立場も尊重したいし、その多様性も含めてVocaloid文化に惚れ込んでいる。『初音ミク』を生み出し、今も常にユーザー目線を忘れないクリプトンには敬意を払いたい。


その上で、クリプトンは英断だったって意見に向けてあえて書きたい。


とりあえず「Pも倫理観を持つべき」と考えている人は大衆音楽をナメてる。ボーカロイドでは倫理的に正しくない歌は公開しちゃいけないということ?
なんだそれ。それがどれだけ創作の幅を狭めるかが全く分かってない。
世の中には文字通り倫理に反する「不倫」の歌もあれば、「I wanna destroy passer-by(通行人を殺したい)」って通り魔のような歌もあるし、バイクを盗んで窓ガラスを割る歌もあるし、特定の個人や団体や国を攻撃する歌はもちろん、クスリの幻覚症状の事としか思えない内容の歌だって腐るほどある。
しかもどれも超有名な曲だ。良いとか悪いとか以前にそれも大衆音楽文化の一面。日本ではとかく軽視されがちだけど、そこは守らなきゃいけない領域だった。それを名誉毀損の恐れがあってニュースで嫌な形で取り上げられたからって慌てて消して、さらにそれに賛同するだなんて、もう表現の自由も音楽文化も語る資格はないよ。児ポ法で「創作物でも倫理的に許されない描写はするべきではない」って滅茶苦茶なこと言ってた人と完全にダブって見える(これは児童ポルノの流れの中では一見正しいように見えるけど、突き詰めればミステリー小説であっても人を殺すような描写はするなということ)。

でも僕はクリプトンの判断はキャラクターを守る企業としては普通の行動だとも思ってる。要はそういうレベルの会社であり、キャラクターだということだし、それはデP削除の時から分かっていたことでもあるから(ただその場合ニコニコよりオープンなYoutubeのほうこそ徹底的に消さないと、騒ぎを大きくして作者を萎縮させただけで何の意味もないのだけど。クリプトンに賛同している人はこの辺りどう思っているのだろう)。今後はVocaloidで無理そうな歌詞の曲は"公開は製作者の責任において行ってください"と明言されているUTAUでやればいいし(連続音でクオリティも飛躍的に上がっているし)、結果UTAUが盛り上がってクリプトン製Vocaloidが没落しても、まあないだろうけど、それ自体は創造主が選んだ道なのだから文句を言う筋でもない。

(注:UTAUの音源に関してはそれぞれの規約に従う必要があります。)

だけど僕が一番疑問なのはその判断の根拠の一つであるここ。

>・これによって、弊社製品を含む音声合成技術全般、およびこれを利用した創作活動全般に対するイメージが、多様性のある実態と異なるかたちで報道によって広まり、一般に認知され定着するおそれがあること。

たしかに今回の件でよくないイメージで伝わってはいくだろうけど、定着なんかするかなあ?僕らが愛した数々のボカロの名曲が、たった一つの替え歌で塗り潰されるとは到底思えない。極端な形で広まると同時に、極端であるがゆえに「入力した言葉を何でも歌にできるVocaloidっていったい何だ?」と、その深遠な世界に興味を持ってくれる人だって少なからずいるはず。
必要以上に恐れ過ぎだと思う。
初音ミクが起こしたムーヴメントってそんなヤワなもんじゃないだろう。もっと信じてもいいんじゃないかな。そう考えるとむしろVocaloidの持つ多様性を損なわせているのはクリプトンなんじゃないか、という見方もできてしまうわけで。

結局のところVocaloidのキャラクターに比重を置く人はクリプトンに賛同するし、音楽や作者寄りの人は反対する、というだけのことかもしれない。


つまり企業としては妥当。音屋としては最低。


そしてその企業的判断によって結果的とはいえ『白いクスリ』作者を引退にまで追い込んだ事だけは、どうしても腑に落ちない。